松月産業株式会社
常務取締役 田所寛章

1985年生まれ。宮城県出身。早稲田大学大学院ファイナンス研究科、慶應義塾大学大学院経営管理研究科 卒業。大学で金融を学うち銀行に勤務後、28歳になる頃に家業を継ぐためUターン。仙台市内にビジネスホテル13店舗を展開するホテル事業と不動産事業を手がける松月産業株式会社の常務取締役として現社長の叔母を補佐している。

御社の業務内容と家業を継ぐ決意をしたきっかけを教えてください。

当社の歴史は、今から半世紀以上も前、私の祖父・田所稲実が既に手がけていた不動産業とともに「松月旅館」という旅館の営業を始めたことにさかのぼります。その後父が経営を引き継ぎ、ビジネスホテル事業を拡大させていきました。現在は、JR仙台駅から半径2.5km圏内に13店舗を展開しています。それにより、13店舗をまとめて大きな1店舗として運用することができ、ホテル1軒だけでは受け入れが難しい団体客の予約や、スタッフの配置をフレキシブルに調整できることが強みです。仙台市内でも最大級のビジネスホテルチェーンに成長したのですが、2015年にその父が急逝。先代の意思を汲み、家業を継ぐことを決意しました。 

大学では金融を学んでいたとのことですが、全く別業界のホテル業へ飛び込んだことで苦労も多かったのでは? 

入社してから毎日が大変なことの連続でした。会社員時代は金融機関で運用セクションを担当していて、合理的に数字を見て考えて、日々仕事に取り組んでおりました。しかし、ホテル業はまるで正反対のホスピタリティ重視する業界だったため、今までの常識が通じず、とても苦労しました例えるなら理系から文系に進路変更するような、見るもの聞くものがすべて違う、そんな感覚になりました。 

田所さんが入社後取り組んだことを教えてください

デジタル化の推進です。それぞれの業務に対し個別にシステムを入れていくと、システム同士の連携が取れずに無駄な労力が発生します。Aというシステムに入力したデータをBにも入力したいが、データの連携ができずに印刷して再度入力するという非効率的な現象が起きていました。
ただ既存システムを入れ替えると、「技術についていけなくなるのではないか」と不安に思うスタッフが出てきてしまうため、密にコミュニケーションを取るよう心がけました。そこで、オペレーションシステムの統廃合とスタッフへのデジタル教育を同時に進め、会社全体のロードマップを策定しました。その後、実現可能性と緊急性を考慮し、変えられるところから変えていくという姿勢で改革を進めています。 

コロナ禍でホテル業界が岐路に立たされる中、田所さんは今をどのようにお考えですか。

正直、コロナ禍で当社も売り上げが減少しています。ですが、何かを変えるなら今がチャンスだと思って、新たな取組みをはじめています。
例えば、「オンライン会議により移動時間が減り、必要に応じて簡単な打合せが可能になった「Teamsを導入することで、24時間いつでも気軽に相談できる環境になった」紙で保存していたものをクラウドに移行することでアクセスしやすくなり、保管コストが減少した」等、これまで慣例になっていた業務を効率化できるようになったのは、新型コロナの流行がもたらした「良かったこと」ではないかと思います。外部環境等の変えられない部分を過度に気にするのではなく、何を変えることができ、どのようにすれば最善になるのかを考え、実行することが大切だと思います。 

今後の展望をお聞かせください。

システムのデジタル化、効率化を進め、コロナが明けた際には良いスタートダッシュができるように準備を進めていきたいと思っています。人が行う必要の無い部分はどんどんシステム化し、スタッフは接客に力を入れることでお客様サービスの向上を目指します。

最後に、若手経営者の方や田所さんと同じ2代目、3代目の経営者となる方へメッセージをいただけますか。

私を含め、大学を出て企業に勤めてから家業に戻るという選択をする人は一定数いると思います。その場合、創業者とはまた違う2代目・3代目だからこその悩みにぶつかることもあると思います。
創業から一緒に走り続けてきた創業者とスタッフの関係性と、事業に途中から入る2代目・3代目とスタッフの関係性は意味合いが若干異なるように感じますね。
優秀な経歴を持つ人ほど、スタッフと話がすれ違ったり、これまでの自分の常識が通じないと感じるかもしれません。そんな時は、自分の常識も相手にとっては非常識なのではないかと疑ってみて、地道に一つ一つ互いに分かり合う努力を続けていってほしいと思います。 

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