代表取締役社長 鈴木 伸典
岐阜県生まれ。学生時代に前代表の稲本氏と出会い、名古屋2号店をつくるタイミングで「ゼットン」へ入社。
その後、稲本氏と2人3脚で経営することになり、2016年に稲本氏に代わり、代表取締役社長に就任。
ゼットンとの出会いは、前代表の稲本氏がきっかけと伺いました。
稲本とはクラブディスコで出会いました。当時稲本は昼間はプロダクトデザインのサラリーマンデザイナー、夜はバーテンダーとして2足の草鞋で生計を立てていました。私はそのクラブの常連客だったのです。毎晩お店に入り浸り、夜な夜な遊び続ける私を見て、ある時稲本が「毎晩ここに通うなら、バーテンでもやってみたら?」と声をかけてくれました。その時私は大学3年生でした。そちらでバーテンダーを始めることになり、いつの間にか稲本ともお客様との関係から先輩後輩の関係になっていました。
そこからゼットンの立ち上げに関わられたのでしょうか?
私が大学生バーテンダーとして日々送る中、稲本は大学時代の友人らと名古屋の栄に1号店のZETTONを開業しました。名古屋の栄とはいえ街外れの問屋や倉庫が立ち並ぶエリアでの出店でしたので繁盛店となるには半年ほどの時間はかかりました。しかし当時の名古屋には無いZETTONのスタイルは名古屋の外食シーンに大きな影響を与えました。
その後私も大学を卒業し、法学部だったのもあり司法書士を目指そうと就職浪人のような生活を送っていましたが、なかなか腰を据えて勉強をすることができなくて次第に将来への不安を抱くようになりました。そのようなタイミングで稲本が2号店を開業するということで、一緒に仕事をしないかと声をかけてくれたのです。
もともと飲食業に興味があったのでしょうか?
学生時代からアルバイトとはいえ飲食業に携わっていたのでサービスをすることは大好きでしたが、まさか自分が飲食業の世界でプロとして仕事をしていくことは想像もしていませんでした。自分が飲食の世界で通用するような人間でもないとも思っていました。それで稲本からの誘いは正直気乗りしない気持ちでした。しかし自分の中でも今後何を目指し社会人となっていくべきなのかもイメージできていなかった為、一旦アルバイトとして雇って頂きました。
ゼットンに入社後も気持ちに迷いのある日々でしたがアルバイトから社員となり1年が過ぎました。そんな中3号店の出店が決まり、当時の上司であった店長が3号店に異動となった為、自動的に私が2号店の店長に昇格という人事が行われました。
しかし店長となっても心の迷いは消えず、たった数ヶ月で売上は3割も下がってしまいました。
その様な良くない状況に大きな変化をもたらしたのは店長就任から1年後のことでした。稲本と旅行でNYに行き当時流行っていたカッコイイお店を沢山見た事がきっかけでした。また同時期に妹の結婚式があり東京の最先端のお店を見て回る機会も重なったんです。NYも東京も凄くカッコ良いお店が多く飲食業に対しての私の気持ちを一気に駆り立てました。
そこからは、飲食業の魅力に惹かれていったのですね。
そうなんです。私の今までイメージしていた飲食業の世界と全く見方が変わりました。そしてzettonであれば日本のレストランシーンを牽引できる会社になれるかもしれないと思った瞬間、私のスイッチが切り替わったのです。
それからは売上を落とし続けたお店を立て直し、スタッフ同士の結束力を高め後輩もどんどん成長し、その中で私自身も店長として成長できたと思います。
しかしそこで私の中に新たな悩みが生まれてきました。お店づくりの楽しさを存分に満喫し、業績も上げることができ少し社会人としても自信が芽生え始めたその先の自分を模索し始めたのです。というのも私の実家は小さな会社を経営していました。経営者の両親と創業者の祖父母という環境で育てられたので、幼いころから事業への興味は強く持っていました。
一方でzettonの仲間とのお店づくりはやりがいもあるし本当に楽しかったのです。仲間と共に過ごす時間が濃密になればなるほど、仲間を置いて起業する自分がイメージできなくなっていきました。
そんな中創業者の祖母が亡くなったのです。それまで会社を継いでほしいとは一言も言わなかった父が私に会社を継いで欲しい意思があるんだとそこで初めて知るきっかけとなりました。
そこから何故継続の道を選んだのでしょうか?
実家の会社を継ぐのかzettonを続けるのか私の人生に於いて大きな選択をせまられた瞬間でしたが、稲本から投げかけられた言葉から私はzettonの社長になろうと決心しました。自身がトップとなり事業を行いたい野心とzettonの仲間と別れたくない心の葛藤を纏めるのは私がzettonの社長になることで解決できると考えたのです。
直ぐに父親のもとに飛んでいき実家は継げない、私はzettonの社長になりたいと伝えにいきました。
代表になられてからは、店づくりにどのようなこだわりを持っていますか?
稲本はクリエイターとしての能力を最大限発揮し会社を成長させました。私は、オペレーターとしての能力を発揮して稲本から受け継いだ会社を強くしようと思っております。
そこで稲本から受け継いだ経営理念の意味を変えずに、私らしくほんの少しチューニングしました。
稲本の時代の経営理念は『店づくりは街づくり 店づくりは人づくり』です。私は街づくりと人づくりの順番を入れ替え『店づくりは人づくり 店づくりは街づくり』としました。
たったこれだけで意味は同じですが伝わり方は大きく変わります。
稲本氏から鈴木社長に交代することで、新たに取り組まれたことはありますか?
稲本は起業家として強烈なリーダーシップでチームの先頭を突っ走るスタイル、一方私はチームのど真ん中に入り時には後方まで下がりチームを押していくスタイルです。
そのため組織が機能的に最大の効果を発揮できる仕組みづくりを心掛けています。
zettonとしてより一層拡大させていくために、今後取り組みを強化していくことはありますか?
既存ブランドのALOHA TABLEの事業は今後も引き続き行いますが、今後は都内を中心に明確なコンセプトをもったBARを創っていきたいと思います。それは2020年に向けてのインバウンド対策としても有効だと考えますが、人々が「ドキッ!」とするような私達らしいお店を展開していきたいと思っています。
私の持論ですが、『いくら良いレストランでも毎日は行きたくない。しかし良いバーには毎日行きたくなる。』
圧倒的な集客力を創りだす事こそ街づくりにとって大事だと私は考えております。
「株式会社ゼットン」を詳しく知りたい方はこちら
https://www.zetton.co.jp/