株式会社ちかなり
代表取締役 兵頭 秀一

1965年大阪府生まれ。東京経済大学卒業後、1988年、株式会社いなげやへ就職。人事部で新卒採用責任者を5シーズン務めた経験を活かし、2002年に株式会社ダイナムへ転職。その後、ITベンチャーなどで計4社で採用責任者を歴任後、IT企業で出会ったエンジニア数名と2007年に就職サイト「合説どっとこむ」を創業。2008年に株式会社ちかなりを設立。

早速ですが、どのような経緯で起業に至ったのでしょうか?

私の人生前半は競争社会において常に真ん中6割の位置にいました。勉強も部活も例えば10人中3位から8位の間という結果。いわゆる普通の人でした。大学を卒業後、東証一部上場企業の食品スーパーマーケットチェーンいなげやに就職しました。大卒入社の同期は約100人。ここでは同期の中でも3番目のスピードで管理職(課長代理)まで昇格しました。そして28歳の時に人事部に異動。経営に近いところで仕事をしてきました。ところがそのあたりで満足をしてしまいその会社での出世欲がなくなってしまったのです。
32歳くらいのころだったでしょうか、自分自身の市場価値について考えるようになりました。いなげやはとても良い会社で辞めたいと思ったことはありませんでした。ただ、人生のすべてを一つの会社に委ねすぎるのもリスクだと考え、ゆるく転職活動を始めてみました。ところが「人事の採用担当ができます」くらいのキャリアではなかなか通用しません。魅力的な転職案件はありませんでした。自分はいなげやという会社に生かしていただいているんだということを痛感しました。だから「やっぱりいなげやに一生を賭けよう」と思った矢先に、パチンコホールチェーンの株式会社ダイナムから「新卒採用責任者募集」のメールが届いたんです。この会社の魅力は経営情報の専門誌などで知っていました。業種は異なれど同じチェーンストア。募集内容もまるで私を呼んでいるかのような内容でした。喜び勇んでエントリーをし、選考を通過。内定をいただきました。入社してみると、ダイナムはいなげやに勝るとも劣らないすばらしい会社でした。私自身も学びが多くありました。私はこの転職に100%の満足をしました。ここで一生働こうと思いました。
ところが数年後、ホリエモンこと堀江貴文氏が現れ、その影響で私の人生観が一変しました。私よりもはるかに年下にも関わらず、プロ野球チームを買収するとかテレビ局を買収するとか選挙に出るとか、堀江さんの行動や言動はすべて衝撃でした。そのまぶしいばかりの生きざまに完全に影響を受けました。ベンチャー企業や起業に対する憧れが強くなりました。そんなタイミングでいろいろと縁があって友人と二人でバドミントンのシャトルコックを輸入販売するビジネスを週末起業という形でスタートしました。

それが、ちかなりの原点となっているのですね。

はい、会社員は続けながら週2日休みのうち1日を週末起業の仕事に充てていました。あまりガツガツせずに週1日は自由に遊ぼうという感じで。週末起業は運よくある程度軌道に乗りました。いつ脱サラするか考えていたところ、現在展開している「合説どっとこむ」のアイディアを思いついたのです。2006年ごろのことです。当時は「合同企業説明会」というワードを検索しても全国の合同企業説明会情報を網羅したサイトはありませんでした。これは絶対にビジネスになると考えたのです。そして2007年、当時私が勤めていたITベンチャー企業で出会ったエンジニア数人と意気投合。私の住んでいた台東区のマンションで毎週土曜日に集まって合説どっとこむのサイトを開発しました。サイトは約半年で完成。そして2008年に株式会社ちかなりを設立しました。

どのような点が強みとなっているのでしょうか?

合説どっとこむは「合同説明会」「合同会社説明会」「合同企業説明会」「合説」などの検索ワードにおいて日本で最初に検索ランク1位を獲得した合同説明会情報サイトです。その後このビジネスモデルをまねた同種のサイトがいくつか登場しましたが我々を追い越すことは誰もできず消えていきました。インターネットの検索ランクは先行逃げ切りの世界です。私たちのこのサイトはGoogleの逆鱗に触れるようなSEOテクニックによって1位を維持しているのではありません。このサイトの検索ランクは極めてナチュラルなものです。だから検索結果の1位は揺るぎません。そして読者のほとんどは検索によってこのサイトを発見します。したがってプロモーションコストもほとんどかけずに済みました。そういう点で他に例のない就職情報サイトだと言えます。さらには2011年ごろからのSNSの普及や拡散、スマートフォンの普及という幸運にも恵まれ、サイトの発展に追い風が吹きました。

サイトは順調に伸びてきたとのことですが、これまでに苦労されたことなどはありますか?

2008年から2011年までの約4年はちかなりは週末起業の会社でした。プロモーション投資をしないWEBサイトは「食えるビジネス」としての力が着くまで時間がかかります。なのでその間は週末起業という形を取り、限りなくゼロにちかい固定費で「売れなくても潰れない会社」にして生き抜いてきました。社会人としての成長ストーリーには5つの壁があります。
①まずは社会人になって社員として採用されること、②脱サラできること、③誰かを雇用すること、④家業規模を企業規模にすること、⑤後継者にうまくバトンタッチすること、です。
今は④と⑤に取り組んでいる最中ですが②と③の壁もなかなか高いものでした。最初に社員を雇用した時は売り上げもろくろく立たない中で給与を支払いつつ自分はインスタントラーメンをすすっているわけです。飲みに行くお金すらありませんでした。自分でも「よくこんなことできたもんだなぁ」と思うくらいです。でもそんな貧しい創業期についてきてくれたスタッフには本当に感謝しています。

今後、目指していることはありますか?

現在13人の社員数をまずは50人くらいにしていきたいですね。また、新規事業として「楽ミントン」というバドミントンフィットネスクラブ事業に挑戦します。まず1号店を成功させ、多店化を図ります。100店、200店を目指します。現在当社の売上は人材ビジネスが9割以上を占めていますが、今後はバドミントンビジネスが8割以上の売り上げ構成比になるようなイメージをしています。過去の成功体験にはすがらず会社が好調なうちに積極的に戦略的に生まれ変わらせます。

具体的には、どのような方と一緒に働きたいですか?

社員数200名まではファミリーでありたいと考えています。なので戦力よりも同志を求めます。今後はバドミントン事業に力を入れるので必然的にバドミントン経験者中心の採用になるでしょう。でも社員のほぼ全員が同じスポーツを愛する会社っていうのはなかなかないですよね。そのことだけでもとても素敵な夢のような会社ができると思っています。

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https://www.chikanari.co.jp/